大学に求められる教学マネジメント指針対応のポイント
各大学様においては、
令和2年度に策定された「教学マネジメント指針」への対応を進められている最中かと存じます。
今回は特別コラムとして、
教学マネジメント特別委員会の委員を務められました
大阪大学の佐藤浩章先生にインタビュー取材をさせていただきました。
教学マネジメントの背景から、
現状多くの大学が抱えている課題
国際社会との比較など大変興味深い内容についてお話いただいましたので、
ぜひご一読くださいませ。
教学マネジメントが策定された経緯
~教学マネジメントが策定された経緯について~ 発端は中教審の大学分科会の中で大学の在り方を考えていく上で、
教学マネジメント特別委員会を設置して、
その教学マネジメント指針を作るべきだという議論があったわけです。
大学の教育の質に関しての指摘は20年ぐらい指摘されてきましたが、
「シラバスを入れなければいけない」あるいは「三つのポリシーを作らなければいけない」
というような部分部分の議論であったと思っています。
そういったものがその都度都度出てくる度に各大学は、
補助金への対応というのがあるわけですからそれに対応しなければなりません。
しかし、その全体構造、システムと言ってもいいと思いますが、
そこがしっかりとできていない状況で部分部分で取り入れても問題があるということで、
授業評価アンケート・IR・FD、様々なものをシステムとして見通す指針を作るという議論になったんだろうと思います。
教学マネジメント特別委員会は、
非常に活発な議論が行われまして、
欠席率も非常に低かった委員会だったと聞いております。
こういう審議会というのは当然たたき台を文科省の職員の方が作られるわけですけれども、
それに基づきながら各論を毎回毎回、議論・テーマ決めながら議論をしていって、
時に意見の対立もありましたが、
最終的にはこれまでパラパラと出されてきた教学の質保証に関わるマネジメントのあり方が
体系的に見通せるものにはなったんじゃないかと考えております。
~教学マネジメント指針において想定される対象とは~
第一に想定されている読者というのは、
学長・副学長・理事というようなレベルの方たち、管理職の方たちです。
その方たちが教育の質を保証していく際に、
どうしたらいいのかを説明する教科書として作りましょうというのが第一点です。
それを分かりやすくするために、
「学長先生は何々をすべきだ」と主語を明確にして入れるべきだという議論はあったんですけれども、こういう審議会の文書でそういう主語というのはあえて書かないのが一般的でして、
そこは反映されませんでしたけれども。
公開されてるウェブサイト見ていただいたら分かるかと思いますが、
教学マネジメント指針は各大学で編集可能なフォーマットで公開されております。
これを参考にしながら各大学でアレンジをして、
学内版の教学マネジメント指針を作って欲しいという思いがあります。
実は学長・副学長・理事の先生方を一同に集める全国キャラバンを想定しており、
3月に東京で説明会の予定があったのですが、コロナの影響で中止になりました。
また、委託調査でリベルタスコンサルティングが調査報告を行い、
教学マネジメントに強みがある大学の事例集を発行しております。
各大学が求められること
~体系的な教学マネジメントへの対応のために~
私が提唱している教学マネジメントの4層モデル(1層が学習レベル、2層が授業レベル、3層がカリキュラムレベル、4層が組織運営レベル) という図を使って、検討すべき項目を赤字でプロットしてみると、どのあたりに偏りがあるかというのがよく分かります。
このモデルを用いれば、「自分たちが今弱いところはどこなのか」を考えることができます。あるいは「これは形式的に対応する」、「これは大学の持つの文脈に合わせて、しっかりやってかなければいけない」を考える。つまり、埋まっていないピースを埋めていくというように考える。教学マネジメントを構造として捉えなければいけないと私は考えております。
こういった構造モデルがないと、対応しなければいけない項目(赤字の箇所)が出てきたときに、それが全体の中でどう位置づいているかわからないので、対応が終わるとその話題は一切出てこなくなるということになるんじゃないかなと思います。
大学職員がメインとなって補助金確保のために教学マネジメントに対応している現状は、ある意味仕方ないところではあるんですね。
今回教学マネジメント指針ができたので、指針に基づいて自分達の大学においてこういうシステムを作って、その上でやるべき事は何か、いつまでに何やるのかを考えるべきだと思います。
~コロナと教学マネジメント~
しかし、問題は、過去の答申も含めてそうですけれども、
トップの方たちがこういった指針が出たとしてもお読みになってない、
あるいは周囲の方たちがそれを読んでもらうのがなかなか難しいということです。
その中でコロナが来たわけです。
去年『現代思想』という月刊誌に「ポスト・コロナ時代の大学教員とFD : コロナが加速させたその変容」という論文を寄稿しました。その中で指摘したことですが、コロナになって教学マネジメントどころでなくなったと一瞬思われたわけですけれども、実際のところはコロナでこそ教学マネジメントが問われたのです。教員が各自バラバラに動くと大変なことになるわけです。場合によって学生を感染のリスク・危険にさらすというようなことにもなります。
コロナ禍の大学運営は、本当に大学がシステムとして対応しなければいけないことで、
非常に迅速に対応できていた大学は、
まさに教学マネジメントが日常的にできていたところだと思いますし、
対応が遅れたところ、あるいは対応ができなかった大学は、
教育マネジメントが動いていなかったということだろうと思います。
コロナが「リトマス試験紙」になったかと思っております。
単純な話ではありますが、 授業をオンラインで実施するのか、対面で実施するのかを各教員や大学が決めていいのは今年度までです。
来年度以降は、大学卒業に最低限必要な124単位の中で、オンライン授業が認められるのは60単位までというのが復活してくると言われています。
授業がオンラインなのか対面なのかということを、
学科長や学部長、教育担当理事が把握せずに、
学生が60単位を超えてオンライン授業で単位を取得した結果、
124単位取得したが卒業できないということが起こるとします。
これは「誰も知りませんでした」ということでは済みません。
コロナを契機にシラバスのフォーマットを変えた大学もあります。
授業が対面なのかオンラインなのか、
オンラインにしても、フルオンラインなのかハイブリッドなのかをシラバスでちゃんと分かるように変更したいということです。
多くの大学のシラバスでは授業外時間学習の欄はワンボックスになっておりますが、
本来は授業毎に「教科書の何ページから何ページを読んでこの問題を解いてくる事」
というように具体的に書かなければいけないんですが、それが書かれてないという問題があります。
これはシラバスのフォーマットの問題です。大学の中にはシラバス導入後からずっと同じフォーマットをを使い続けているところがあるのです。
本来は変えておかなければいけなかったことを、
コロナを契機に変更したいという大学もあって、
数校に関しては私もアドバイスに入らせていただいています。
教学マネジメントがうまくいってない大学に対して、
いきなりシラバスのフォーマット変えますといっても機能しないので、
先生方に対してはコロナ対応ですという言い方をしております。
そして、私が関与している大学においては、
コロナをきっかけに教学マネジメント指針を改めて読んでいただいた上で、
教学マネジメントの体制を作り直さなければいけないのではないでしょうかと提言しています。
学長先生等のトップの意識を変えるために必要なこと
~トップの意識を変えるためのFD~
私はファカルティデベロッパーという仕事をしていますが、私たちの中で、FDはミクロ(先生)・ミドル(学部長・学科長)・マクロ(学長)レベルと3層に分けて考えることがあります。
3層目、マクロレベルの FD というのは実際は非常に難しいわけです。
私の前任校は愛媛大学ですけれども、毎週火曜日には教育担当理事と教学系の幹部職員の方たちとランチミーティングを行っていました。
国内外の大学教育の動向をお伝えしたり、政策のたたき台を作って打ち合わせをしたりしておりました。いわば、これが マクロレベルのFDです。
FDというのは、研修会のような形式を想定をしがちですけども、
コンサルティングもその方法の一つです。管理職には、コンサルティングとは言いにくいので、ランチミーティングという名前にしていました。
このようなことが日常的に行われてる大学であればいいんですけども、
まずもって専門家を各大学に配置していない大学もありますし、
専門家じゃなくてもFD委員長・FDセンター長という方々がしっかり情報収集をして、
その方の意見を日常的に教育担当理事が聞き取るような仕組みがあればいいんですけども、
そのような仕組みはない大学が多いと思います。
このような状況なので、私学の大学の学長先生が参加されるような団体やネットワークが動かないと、どんなに学内の教職員の方々が教学マネジメントを大事だと思っても、
中々上手くいかないと思います。
10年後・20年後の教学マネジメントの姿とは
~国際社会における日本の教学マネジメントの立ち位置~
正直、教学マネジメントに関して言えば、10年・20年という単位で明るい未来は描けないような気はします。私は2002年にこの仕事に就いて、19年ほどこの仕事をしていますが、
確かに状況は良くはなってきていると思います。
5,6年前と比較すれば、
シラバスの書き方の研修をやった時にものすごく反発をする先生とか、
アクティブラーニングの研修をやったときに怒ってしまった先生とか、
シラバスが全くの白紙のままの先生がいなくなってきました。
私は、ICEDというファカルティデベロッパーの国際組織のメンバーでもあるんですが、他の国の現状を聞いてると、日本のFDは30年から40年ぐらい遅れていると感じます。
世界各国のFDというのは、1960年代後半から70年代初頭にかけての学生運動に端を発して拡大・浸透していきました。
日本も一時的にその時期にFDの流れができましたが、残念ながら火がつかず90年代に入って、
FDの努力義務化というのをきっかけに、各大学がやらざるを得ない状況になりました。
もちろん1980年代には研究者たちが、FDの定義をしたりとか、議論したりということは起こるのですが、部分的な取り組みでした。
日本は、そのスタートが遅れたにも関わらず、それからの歩みも非常に遅いという特徴もあります。
北欧圏ですとか、イギリスも含めてヨーロッパの国々においては、
新任の先生に向けて2年から3年かけて新人教員研修が実施されていて、
資格がなければ教壇立つことができないというような現状が出来上がっており、
その制度が定着して20年経ちます。
しかし、日本では年に1回の大人数の研修会をやって終わりという大学もいまだにあります。
教学マネジメントの中でも非常に重要なのは教員の質のマネジメントなんですね。
授業を行う先生達をしっかりとトレーニングをしなければいけないし、
常に知識・技術のアップデートをしなければいけないということに対して、
他の国と比較すると、日本はあまりにも無関心であると思います。
そのような理由もあり、この30年間非常に遅い歩みとなったのかと思います。
~教員の質向上と研修義務化について~
私が関わってきた愛媛大学を含め教員研修を義務付けた大学もありますが、
その取り組みが広がらないのは、
国のカルチャーもありますが、大学教員が議論をして義務化を推していくことが難しいというのが理由としてあるかと思います。
例えば、若い先生方に「100時間・200時間といった研修を受けてから教壇に立ってください」
と言った時に「そういう自分はどうなんだ」という問いが常に頭に浮かぶんだろうと思います。
ただ、初等・中等教育の先生たちには教員免許が必要で、
大学の先生たちは不要というのは筋が通らないわけですね。
このユニバーサル化した大学の状況で、大学の教員はトレーニングしなくても教壇に立っていいというのは非常におかしな話です。その問題をずっと私はライフワークとして言い続けています。
少し展望のある話をすると、
高専の先生も現状では資格も免許も不要なのですが、
高専教員の資格を独自に作れないかどうかを検討する共同研究を、私が会長をつとめる日本高等教育開発協会と国立高専機構でしている最中です。
また、看護領域の先生達が学会レベルでも議論があります。看護専門学校の場合は教員向けの研修制度があるのですが、大学の先生に関してはその制度がないという矛盾があるのです。これをどう考えるかと議論しています。
それから同様に、医療関係のPTやOT業界の大学教員たちも今そういうことを議論しているようです。
また、実務家教員の人たちへの研修制度というのがいま東北大学を中心に全国展開しています。
あともう一つ言えば、
大学院生を対象にしたプレFDというのは、
博士課程を持つ大学に関しては情報提供も含めての努力義務化になりました。
このように議論が起こっている分野もありますので、
私は一点突破全面展開でどこの分野でもいいんですけども、
賛同してくれるところがあれば広がっていくといいと思います。
だんだんと本丸の大学教員は追い込まれている感じだと私は思っているので、
あと10年・15年ぐらいで何とかしたいなと個人的には思っています。
それくらい時間がかかるのではないでしょうか。
教員の質保証・向上のために必要な評価制度とは
~教学マネジメントに求められる「教員に求められる能力の具体化」~
能力開発と評価制度というのは、車の両輪であり、その間にあるのは能力基準だと思います。
大学教員にはどういう能力・資質が求められているのかが非常に曖昧です。
大学設置基準においても、大学教授の資格の項目には
「大学教育を教えるのにふさわしい能力」としか書かれていないんですね。
このような状況ですと、FDも評価も曖昧なものになってしまいます。
日本高等教育開発協会では「教員に求められる能力を具体化しましょう」という提言をしています。
新潟大学など大学によってはそういったもの明示化してるところもありますし、
立命館大学や芝浦工業大学など新任教員研修をしっかりとやっている大学は、
新任教員に求められる能力・資質というのをリストアップしています。
それをまず明確にするということが重要です。
それが職位に対応して書かれていればなお良いと思います。
教員に求められる能力を具体化せずに評価を進めるわけにいきません。
それができた上で、何を持ってそこで示されている資質・能力というものを測定するのか、
例えば授業設計力という能力を測るために、そのエビデンスとしてシラバスや授業評価アンケートの結果が出てくるわけです。
ところが日本の大学は、授業評価アンケートの目的に
「授業評価アンケート結果は授業改善のみに使います」と書かれていて、
教員の業績評価に使えない場合があります。これは問題です。
シラバスや授業評価アンケートが授業改善と同時に教員の業績評価をする上で、
非常に重要なツールの一つであるという位置づけに変わり、
採用・昇進にあたっては必ず提出が求められるとなると先生方はもっと真面目にシラバスを書き、授業改善に力を入れると思います。
先程お伝えしたようにシラバスのフォーマットの問題はもちろんありますけれども、
評価の対象としてシラバスがエビデンスになっていなければ書かない教員がいても不思議ではないわけです。
もちろん、学生のためにと思って書いている先生もいますが、その思いにだけ期待するのでは
全体的な底上げになりませんから、教員業績評価制度をしっかりと整備することが重要だと思います。
シラバスの他にも、
先生方の教科書・教材・学生の声・同僚の先生方からの授業観察の声等も具体的に入れておけば、
昇進を控えた先生方は授業観察会・授業参観を自主的にやると思いますが、
多くの大学はそのような仕組みがないので、
いつまでたっても教員個人の取り組みに留まっているということですね。
~目指すべき教職員像とディプロマ・ポリシー~
教学マネジメント指針 要旨より抜粋
教学マネジメント指針のなかにも「教職員に求められる資質・能力を望ましい教職員像として明らかに」せよという記述があります。
これは私が強く主張した内容ですけど、あまり前面に出てなく、
読み飛ばされてしまっているのではないかと推測されますが、
文科省職員の方からも重要ですよねと言ってもらいました。
各大学のディプロマ・ポリシーの中には、
学生にかなり高度な能力を求めているものもあるのですが、
それは必ず教員の方々にブーメランのように戻ってきます。
例えば、ディプロマ・ポリシーの中クリティカルシンキングというのを入れたとします。
その場合、
クリティカルシンキングを教える高度な能力を教員が持たなければいけません。
高度なコミュニケーション能力と書いたのであれば、
高度なコミュニケーションを教えるための能力を教員が持っていなければならないということになります。
ディプロマ・ポリシーを反転させる形で落としこむことで、
大学教員に求められる資質・能力ができあがるわけですが、
そのようなことを考えずに、
自分が教えられないディプロマ・ポリシーを作成している大学は問題だと思います。
~教学マネジメントを成功させるための評価制度を実現するための課題~
教員の教育業績評価に関する議論は、この20年間あまり成熟していません。
高知工科大学では、アンケートの結果を業績・給与に反映させたり、
東京農工大では、ベストプロフェッサー賞受賞者にボーナスを支給したりという取り組みがありました。
このようなやり方もよいのですが、ずば抜けて優秀な教員のための制度ではなく、
自分の大学教員にはどのような能力が必要なのかを定め、
その能力基準をもとにしっかり評価をしていく大学は多くはありません。
そして、そのような評価制度や研修制度を単独の大学でやる場合、
あそこの大学に行くと教育業績を細かく問われるということで、入職が避けられ、
優秀な先生が集まらなくなるという現象が一時的に起こる可能性があります。
もちろん、何年かするうちにむしろそういう大学で働きたいという人は増えてくると思いますが、そこまでは時間がかかるかもしれません。
実際に、愛媛大学が2013年に100時間の研修を義務化した際、
新規若手教員を全員キャリアトラックにのせたわけですが、
欧米の大学では当たり前のこの制度を導入した時に同様の誤解をする教員も一部いました。
組織からすると、研修の義務化というのはお金がかかります。
それを若手の先生が、
「こんなにたくさんの研修をしっかり最初手厚くやってくれるのか」と思うか、
「めんどくさい大学だな」と思うか。
これも教員の個々の先生方の考え方にもよると思います。
私たちは当時この制度を高く評価する人に来てもらいたいと思っていましたが、
学内でも大激論になったのを記憶しています。
それくらいこのような制度を導入することは大変な問題です。
しかし、学長・理事長・理事レベルの方々が
「教員の資質・能力を具体化させ評価していかないと教育の質が担保されない」
と判断をしてもらいました。
このように一歩でも二歩でも教員の教育の質を高めていくしかないと思っています。